そんな次第で、ロケハンと撮影がそれぞれ1週間という、かなりの時間をポルトガルで過ごすことになった。鉄砲やキリスト教など、さまざまな面で日本の社会や文化に影響を与えた欧州大陸最西端の国を訪れるのはそれがはじめてのこと。貴重な旅となったのだが、ロケハンと撮影のあいだに、邦訳が出たばかりだったミラン・クンデラの『無知』を読んで僕は、かなり意義深いシンクロニシティ的な体験をしている。チェコスロバキアの出身で、70年代以降はパリに拠点を置き、現在はフランス語での創作活動をつづけている偉大な文学者はその作品の第二章冒頭でこんなことを書いていた。
ギリシャ語で、NOSTOSは帰還、ALGOSは苦しみを意味する。この二語が合成されたものがフランス語の単語NOSTALGIEであり、大多数のヨーロッパ人がこれを起源とする言葉を使っている。満たされぬ欲望によって引き起こされる苦しみといった意味の言葉だ。しかしポルトガルには、その系統の単語がなく、異なった言葉を使う。それがSAUDADE=サウダージ(集英社刊、西永良成氏訳より)。そしてじつは、そのサウダージという概念こそが、ファドの重要なキーワードだったのだ。
あらためて紹介しておくと、ポルトガルは欧州大陸の南西部から突き出したイベリア半島の西側に位置する、大西洋に沿って南北に細長く伸びる国。こうした地理的条件が、15世紀から17世紀にかけての大航海時代、その先駆者/主導者としての地位をポルトガルに与えたわけだ。
首都のリスボンは、その細長い国土の下から三分の一あたりに位置する人口60万ほどの街。ヴェンダース95年の作品『リスボン物語』でも描かれていたとおり(宮崎駿監督の『魔女の宅急便』も、上空から眺めたこの街の景観を参考にしているらしい)、細かく入り組んだ路地や急な坂が多く、長い歴史を感じさせる石畳の道や、そういった道を器用に走り抜けていく市電が強く印象に残っている。とりわけ旧市街アルファマ地区の、迷路のような街並は今も記憶から消えることがない。
滞在中はリスボンにベースを置き、学園都市のコインブラや海辺のリゾート地ナザレなどにも足を伸ばした。70年代の初頭、檀一雄が暮らしたサンタクルスという漁村では、毎日のように顔をみせていた小さなレストランで、大好きだったという赤ワインDAO(発音はダンに近い)をたっぷりと飲んだりもしたものだ。海に面した公園には「落日を 拾ひに行かん 海の果て」という句碑も建てられていた。旅の作家らしい美しい句だ。
事前に調べていたことではあるが、ポルトガルの人たちはシーフードをよく食べる。たとえば炭で焼いただけのイワシとか、タラの干物を使ったオムレツとか、どれも懐かしささえ感じさせる旨さだった。そういった食べ物と、DAOに代表されるしっかりとしたテイストのポルトガル・ワインがよくあう。海に面した細長い土地なのだから、海の恵みを大切にするのは当然といえば当然のことだが、ファドはこの食文化とも深い部分でつながっているものだった。
大航海時代の栄光が象徴するとおり、古くから、ポルトガルの男たちの多くは海に生活の糧を求めてきた。しかし、昔も今も、海での仕事は危険と背中あわせのもの。海辺の街には、愛する人を海で失い、深い喪失感とともに生きるたくさんの女たちがいる。
サウダージは、彼女たちの想いや気持ちとつながる言葉であり、一概にはいえないが、ポルトガル特有の音楽ファドは、そういったもろもろの状況や感情を背景に生まれたものなのだと思う。
八代亜紀さんの「舟歌」は、アルファマのファド酒場で収録した。ファドの伝統を守りながら意欲的に新しい分野への挑戦もつづけているミージアの共演を得ることもでき、彼女の歌を聴きにきた人たちを前に八代さんは、ミージア専属のミュージシャンをバックに、見事に「舟歌」のファド・ヴァージョンを歌い上げた。クラシックや現代音楽同様、演歌も門外漢だが、これもまた、いつまでも忘れることができない、貴重で特別な体験となった。









