――初めてのギターは6,000円のヤマハクラシックギター
あの昭和を代表する東宝映画「モスラ」の卵のカラーリングを纏ったストラトを手にするオーナーは「ヴィンテージからチープなコピーギターまで、ギターであれば何でも好き」と話す宇都宮のギターショップ「バックビート」店主の松井氏。
ギターとの出逢いは小学5年生の頃。恐らく誰もがチャレンジしたであろうあの名曲「禁じられた遊び」に挑むべく手にしたギターは当時6,000円のヤマハクラシックギターだったそう。そんな松井氏のエレキギターとの出会いやエピソードをお聞きした。
――「ザ・ピーナッツ」とエレキギター
『遡ること50数年前、モスラに夢中になった小学生の私は、妖精役であった双子の歌手「ザ・ピーナッツ」が宇都宮で公演を行うことを知り、何とか2人の唄声が聴こえないものかと会場の周りをウロウロしていました。すると突然現れた見ず知らずの男性が「良かったらどうぞ!」とチケットを差し出したのです。いただいたのは何と最前列中央のもの!あこがれの二人が私の目の前に..!!それはまさに夢のような出来事でした。
初めて生で聴く「ザ・ピーナッツ」の唄声に興奮状態の私は同時に、ここで初めて目にした生バンド演奏にもすっかり心を奪われてしまいました。私にとって人生初のライヴ体験はそんな不思議な出来事だったのです。
そして次のエレキとの衝撃的な出会いは何といっても映画「若大将シリーズ」です。空前のエレキブームの中、地元近く「日光」がロケ地となった「エレキの若大将」は、私だけでなく恐らく日本中の少年がエレキにあこがれるきっかけになった映画だと思います。
以来、バンドのとりこになった私が手に入れたギターは「リバティー」という18,000円の無名のギターでした。
そして学生時代、写真の私が手にしているセミアコは日本のエレキブームの黎明期の産物で、5年足らずで壊れてしまいましたが、この頃には「ザ・ビートルズ」に夢中になり、「Teddy Boy」というコピーバンドで東芝EMIでLPまで製作しました。聞くところによるとこのアルバム、現在ではなんとプレミアまでついているそうです(笑)。 』
――自己流レリックが高じてモスラトキャスターに
『元々実家が呉服商を営んでいたので、それを継ぐ形になったのですが、やはりどうしてもギターから離れられませんでした。そして今から30年ほど前、リッケンバッカーの事で色々と教えていただいていた方(実はこの方が当時リッケンバッカー日本総代理店の社長さんであったとは知らず)に何かと応援していただいて、呉服店の半分をギターショップとして立ち上げました。海外から買い付けたヴィンテージギターとUSEDギターを中心に品揃えをしていましたが、そんな中、遊び心もあって自分で塗装を弄って、いわゆるエイジングをやってみようと思ったのです。今のようなレリックモデルなどなかった時代ですから洋書を取寄せてダメージの方法などを勉強しました。すると完成品をお客さんが見て「やっぱりオールドギターはいいなァ」なんて。そこでネタバラシをするとすごく驚かれ、「是非売って欲しい!」なんて言われて(笑) 。
そんなことをやっているうちにモスラ好きが出てしまい、Fender Japanのイングウェイモデルを自分でエアブラシでペイントしたのがこのギターです。
当初はモスラの羽根の模様でデザインしたのですが、あまりにも派手になりすぎたので卵の柄に。(ちなみにモスラの羽根の柄は後日着物の柄になったというエピソードも。。)
ヘッドにはあのモスラの故郷、インファント島の碑文を入れてみました。世界に1つしかないこの「モスラトキャスター」はお気に入りの1本です。』
――音楽にまつわるラッキーな出会い
実はそんな松井氏、子供の頃の「ザ・ピーナッツ」との突然の出会いをはじめ、その後も音楽にまつわるラッキーな出会いを沢山お持ちで、東京での学生時代には作詞家でミュージシャンでもある「松本 隆」氏とクラスメイトで前後の席であったそう。
今でも不思議に思う出来事というエピソードは学食で初めて会った友人に突然「加山雄三氏の家に行こう」と誘われた時のこと。半信半疑でついていくとそこは紛れもなく加山邸。ご本人も快く迎え入れてくださり、あこがれの「若大将」とのギター談議!その後加山氏自らの運転でテレビ局へ。なんと夕飯までごちそうになったのだとか。
さらには学園祭の関係でフジTVの食堂で昼食中、当時全盛のキャロル「矢沢永吉」氏が目の前に。ビートルズやギターの話でひとしきり盛り上がり、そのままあの「リブ・ヤング」のスタジオライブを直接観覧させてもらえることに!
また、実家の呉服商を継ぐために修業した八王子の大店はなんとあの「ユーミン」こと「荒井(松任谷)由実」氏のご実家だったそう。同じ屋根の下に学生でデビューしたてのユーミンがいて、当時芸能界を駆け上がって行く姿を文字通り「近く」から応援していたのだとか。
『お店を始めて30年!ギターを介して、この後も沢山の出会いがありました。
業界でも、もう古い方のお店になってしまいましたがこれまでの沢山の方との出会いには本当に感謝しかありません。もちろんそんなきっかけを作ってくれたギターとの出会いにも心から感謝です。』
モスラに導かれるように音楽の魅力にハマり、ギターと共にこの道を進み、そして多くの出会いに恵まれた松井氏。これからも「Eコードをジャラーンと鳴らすだけでも幸せ!」と感じる人たちのお店として、生まれ育った宇都宮の地で頑張っていきたいと語る。
(掲載日:2022年9月29日)