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10年と少し前の話になるが、ハイウェイ61を北上してニューオリンズからメンフィスに向かい、その先のセントルイスからはルート66でシカゴを目指したことがある。いうまでもなく、メイン・テーマはブルース。ミシシッピのデルタ地帯はほぼくまなく走り、さらには、アーカンソーにも足を伸ばして、ミスティックな空気が色濃く漂うブルースの聖地をいくつも訪ねた。若いころから、漠然と「ロックのルーツ」といった程度の認識で接し、そこそこの数のレコードを聴いてはいたけれど、深い部分には入り込めずにいたブルースという音楽/文化の本質に少しは近づけた気がする。そんな、実り豊かな旅だった。
メキシコ湾に面した大きな港街であり、ミシシッピ・リヴァーを利用した流通の出発点/終着点でもあるニューオリンズは、文化の坩堝といったイメージの土地だった。アフリカの文化や音楽も主にこのエリアからアメリカ大陸に入り込んでいった(正確には、彼らの意志とは関係なく、入り込まされたわけだが)。たくさんの観光者が行き交うバーボン・ストリートを中心に、街には音楽があふれている。明るく、楽しいイメージを発散しているが、もちろん、それがあの街のすべてではない。
ニューオリンズをあとにしてハイウェイ61に乗り、しばらく走ると、空気や空の色が変わり、やがて車はミシシッピとの州境を越える。最初に出会った聖地は、マディ・ウォーターズの生誕地といわれるスモール・タウン、ローリング・フォークだ。実際に生まれたのはそこよりもさらに西側の集落だったそうだが、そこではマディの遠縁だという少年に会うことができた。ただし、彼が好きなのはヒップホップなのだそうだ。
そこからは、ハイウェイ61を基本ルートとしながら、デルタ地帯をぐるりと回り、チャーリー・パットンやハウリン・ウルフが暮らしたドッカリー・プランテーション、ブルースはもちろん映画や小説にもしばしば登場するパーチマン・ファーム(刑務所)などを訪ねた。ミシシッピ・リヴァーを渡ってアーカンソー州ヘレナまで足を伸ばし、伝説のラジオDJ、サンシャイン・サニー・ペインの「キング・ビスケット・タイム」も生で体験させてもらった。
メンフィスでは多くのブルースマンが歴史的なレコーディングを残したサン・スタジオや、B.B.キングも若いころはしばしば路上でプレイしたというビール・ストリート、アル・グリーンの教会などで忘れられない時間を過ごした。呆れてしまうほど河幅の広いミシシッピ・リヴァーを目にして、メンフィスが水上交通の重要な中継地として発達したのだということも理解できた。そしてジャズの街でもあるセントルイスを経由して、シカゴに。
ミシシッピ・リヴァーに沿うようにしてハイウェイ61を走り、途中からはルート66でシカゴを目指した旅は、ブルースが誕生し、進化し、やがてエレクトリック・ギターと出会って都会化されていく過程を、そのまま身体で体験する旅でもあった。どの土地も、どの出会いもはっきりと記憶に残っているが、なかでもとりわけ強烈なインパクトを与えられたのが、ロバート・ジョンソンが亡くなったとされる土地だった。
ハイウェイ61はクラークスデイルの東側で49号線と交差する。ジョンソンが悪魔に魂を売ったといわれている伝説のクロスロード=十字路だ。真偽のほどはともかくとして、そこから南東の方向に15マイルほど走ると、タトワイラーに着く。100年ほど前、南北に走る鉄路と東西に伸びる鉄路が交差する停車場で、音楽家のW.C.ハンディがふと耳にした不思議なメロディを譜面に書きとめ、それが結果的にブルースという音楽の認知につながったといわれている、やはり重要な聖地だ。街外れの朽ち果てた教会の裏には、サニー・ボーイ・ウィリアムソンⅡの墓もあった。
タトワイラーを訪れた旅人を、インパクトの強い壁画が迎えてくれる。そこにはサニー・ボーイ・ウィリアムソンⅡの墓への行き方も記されていた。
タトワイラーの街外れの、かつては教会だったという建物。この裏にサニー・ボーイ・ウィリアムソンⅡの墓があった。
タトワイラーを訪れた旅人を、インパクトの強い壁画が迎えてくれる。そこにはサニー・ボーイ・ウィリアムソンⅡの墓への行き方も記されていた。
タトワイラーの街外れの、かつては教会だったという建物。この裏にサニー・ボーイ・ウィリアムソンⅡの墓があった。
そこからさらに40マイルほど走り、農道のような細い道をいつくもたどっていくと、クィトという集落にたどり着いた。1938年の夏、あるジュークジョイントを訪れたロバート・ジョンソンが、彼と妻の関係を疑ったその店の主人に毒殺されたといわれる土地だ。
27歳のジョンソンが埋葬された、いや、埋葬されたはずだといわれているバプティスト教会の墓地に入れてもらうと、彼の名前が刻まれた、雑誌ほどの大きさの墓石も見つけることができた。
ただし、これは正式な墓ではなく、91年ごろ、アトランタのロック・バンドのメンバーたちが勝手に置いていったものだという。また、近くの別の教会の敷地には、墓石というよりは記念碑と呼んだほうがふさわしいものが建てられていた。そこには、「俺が死んだら街道のそばに埋めてくれ/この邪悪な魂がいつでもバスに飛び乗れるように」という、あの「ミー・アンド・ザ・デヴィル・ブルース」の歌詞が刻まれている。
クィトの教会で見つけたロバート・ジョンソンの墓。
ロバート・ジョンソンの代表作「ミー・アンド・ザ・デヴィル・ブルース」の歌詞が刻まれた墓碑。
ジョンソンの墓碑はほかにも、もうひとつある。実際に彼の遺体がどこに埋蔵されたのかはよくわからないそうだが、それもまた、ブルースという文化を象徴する芸術家、ロバート・ジョンソンにふさわしいエピソードといえないだろうか。
メンフィスのビール・ストリートに建つB.B.キング・ブルース・クラブの看板。ビール・ストリートも多分に観光地化されてしまっているが、ブルースの歴史の一端に触れることができる。
ジョンソンが少年時代を過ごしたロビンソンヴィルのジュークジョイント。
1930年代。ジョンソンはギター・ケースを提げ、ヒッチハイクをしたり、貨物列車に乗り込んだりして、アメリカ南部を旅した。そしてその旅のなかから、ロックの時代まで脈々と聴き継がれ、歌い継がれ、弾き継がれていくことになる名曲を残したのだ。誰かに会ったり、具体的な話を聞いたというわけではないけれど、ミスティックな空気が漂うデルタ地帯で時間を過ごし、ジョンソンの歩いた道をたどるうち、僕は、ブルースの本質に少しだけ近づけたような気がした。
ギャグ漫画『アゴなしゲンとオレ物語』で評価を確立した平本が作風や画風をまったく変えてロバート・ジョンソンの世界に挑んだ意欲作。ボニーとクライドのエピソードを絡めるなどオリジナリティあふれるストーリー展開にも注目していたのだが、なぜか途中で連載中止になってまったらしい。コミックは第四巻まで出ている。(大友)
主人公はアメリカ北西部のインディアン居留区で暮らす若者たち。彼らの前に何十年も前に死んだはずのロバート・ジョンソンが現れ、ギターを渡す。彼らはバンドを組み、そして・・・。ジョンソンの伝説とネイティヴ・アメリカンの神話がひとつになった、不思議な、そしておそろしく読み応えのある小説だ。(大友)
いわゆるミステリーものや推理小説はほとんど読まない。手も出さない。しかし、タイトルに惹かれて買ったこの本は一気に読んでしまった。ジョンソンの幻の音源をめぐって血なまぐさい事件が起こるという、よくありがちな展開だが、リサーチはしっかりとしている。命日が同じジョンソンとプレスリーをひとつの舞台に乗せる手法にも感心した。(大友)
2004年に発売されたジョンソン作品全29曲の訳詞集。残念ながら訳者の方に関しては知識がないのだが、とても生き生きとした日本語を使い、ジョンソンの内面にしっかりと入り込んだ訳詞がなされている。ちなみに、同じころ、クラプトンがリリースしたジョンソン作品集の国内盤では、僕が訳詞をやらせてもらっている。よろしかったら、こちらもぜひ。(大友)
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