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旅と音楽(広い意味でのロックと解釈していただきたい)をテーマに、想い出やエピソード、そこで得たものや感じたことなどを、思いつくままに書いていく。先月からスタートしたこのコラムの内容は、そんなふうに要約できるだろうか。月一回のペースでしばらく連載させていただく予定だが、ここで、ぜひとも書いておきたいことがふたつある。
まず、僕の心の師匠はニール・ヤングだということ。「いちばん好きなアーティストは?」と聞かれたら、躊躇なくニール・ヤングと答える。彼の音楽と出会ってしまったから、あと数年で還暦となった今も、僕はロックを聴きつづけている。旅をしたい、旅に出て、風のなかから歌を感じてみたいという気持ちの深い部分には、いつもニール・ヤングがいた。
もうひとつは「ハイウェイ」の意味。日本では悲しくなるほど、圧倒的に誤解されているこの言葉の本来の意味は、街と街を結ぶ道。つまり、街道ということだ。ニール・ヤングはもちろんのこと、ロックやブルース、カントリーの歌詞にはハイウェイという言葉が頻出するが、それを「高速道路」と訳してしまったら、まったくつまらない。たとえばロバート・ジョンソンの「ミー・アンド・ザ・デヴィル・ブルース」。彼はそこで、「俺が死んだらハイウェイの脇に埋めてくれ/この邪悪な魂がすぐにバスに飛び乗れるように」と歌っている。ジョンソンの墓といわれている場所を訪ねたことがあるが、たしかに彼は、ミシシッピの、日本でいえば農道のようなカウンティ・ハイウェイ(郡道)の脇に埋められていた。
ともかく「ハイウェイ」は、このコラムのキーワードのひとつ。お付き合いいただける方は、ぜひともその点をご留意願いたい。また、そういうふうに視点を変えると、これまで聴いてこられたアメリカの歌の数々と、よりリアルに接することができるはずだ。
驚かされたのは、CD8枚組、DVD10枚組、ブルーレイ10枚組と、3つものタイプが用意されていること。DVD版とブルーレイ版は基本的には同内容だが、ともかく、かねてから熱心にDVDオーディオに取り組んできたニールの強いこだわりや遊びが随所から感じられる仕上がりだ。
フジ・ロックでの長時間ライヴも含めてニール・ヤングの来日公演はすべて観てきた。03年の来日の直前には、訳あって、香港公演も観た。いつもそばに置いてあるマーティンHD-28と54年型レスポール(もちろん再生産モデル)はどちらも、ニールのアルバムやステージに刺激されて衝動買いしたものだ。
そのニールとはじめてインタビューできたのは、彼自身が監督した映画『グリーンデイル』の完成直後。サンタモニカにあるオフィスでのこと。入り口には、「アフター・ダ・ゴールド・ラッシュ」を書いた時に使ったものだというアップライトのピアノがさり気なく置かれていた。忘れられない想い出だ。
3年後、僕は、ニューヨークのレストランでニールに遭遇している。前日、ボストンで観たエリック・クラプトンのコンサートが頭から消えてしまうほどの衝撃だった。家族や仲間と食事を楽しんでいたので、お邪魔をしては失礼と思い、レストルームに立ったところを見計らって、もちろんマネージャーのエリオットに断ってから、再会の挨拶をした。あの時の彼の笑顔を僕は、終世、忘れないだろう。
ニューヨークは、当たり前の話だが、歩く旅人として楽しむことにしている。あれほどストリート表示のわかりやすい街はないし、元気なら、たいていのところは歩いて行ける。セントラル・パークにあるメモリアル・スペース、ストロベリー・フィールズに詣でたら、あとは、気の向くまま、足の向くまま、ひたすら歩く。それがニューヨークでの旅の基本的なスタイルだが、一度だけ、空港でレンタカーを借り、けたたましくクラクションが鳴り響くあのマンハッタンの街を走りまくったことがある。93年初夏のことだ。
ニューヨークのビレッジ、ワシントン公園のすぐそばにあるクラブ。60年代半ば、まだまったく無名の存在だったジミ・ヘンドリックスがしばしばこの店のステージに立っていた。
今年3月のニューヨーク旅で撮影。そう、あの『フィジカル・グラフィティ』のアパートメント・ハウスだ。ビレッジのセント・マークス・プレイスという通りに建っている。
セントラル・パークの西側、72丁目の入り口のすぐそばにあるジョン・レノンのメモリアル「ストロベリー・フィールズ」。この写真を撮影したのは、イラク侵攻直前の03年2月。ファンが置いていった小物からも平和への願いが伝わってきた。
しかし、2日も走ったらさすがに飽きてしまい、3日目の朝、ふと思いついて車を北西に向け、ウッドストックと、実際にウッドストック・フェスティバルが行われた街、ベーツェルを訪ねた。誰かに会ったというわけではないけれど、風のなかからたくさんの歌を聴きとった。あれもまた、僕にとっての、忘れ得ぬ旅である。
記録映画にも出てくる池のそばに建つカフェ。地元産の牛乳を使ったアイスクリームが自慢だといっていたが、甘いものは苦手なのでパスしてしまった。
1969年の夏、ウッドストック・フェスティバルが行なわれたニューヨーク州ベーツェルのヤスガー農場。主催者たちは「芸術家の街」ウッドストックでの開催を目指したが、さまざまな事情で不可能となり、名前は生かしたまま、この土地での開催にこぎ着けたのだった。
マンハッタンに戻ると、友人の家にファックスが届いていた(メールや携帯はまだ想像の外)。数日後、クラプトンとB.B.キングとジェフ・ベック、バディ・ガイ、アルバート・コリンズが共演するライヴがアポロ・シアターで行なわれる。そのチケットを手配できるという話だった。
ニューヨークでは、予期せぬことがよく起きる。魔法のような、不思議な力を持った街なのかもしれない。アポロには、もちろん足を運び、翌日、クラプトンやジミ・ヘンドリックスも通ったという48丁目のマニーズでストラトキャスターを衝動買いした。カスタムショップ初期の57スペシャル。60本限定モデルの30本目。今でも大切にしているこのギターを手にするたび、僕はニューヨークが持つ、魔法のような、不思議な力をあらためて実感する。
内容は本文に書いたとおり。10枚セットのDVD/ブルーレイ版は縦横20センチ、高さ30センチ、重さ約2キロという、とんでもない仕様だ。10枚のうち9枚は、オーディオ・ファイルと映像要素(ターンテーブルやオープン・リールのテープ・レコーダー、ライヴ・フォトなど)をミックスさせたもので、10枚目には幻の映画『過去への旅路』が収められている。観ているうちに6120かホワイト・ファルコンを手に入れようと思ってしまった。(大友)
「ライク・ア・ローリング・ストーン」や『ブロンド・オン・ブロンド』でアメリカ音楽の世界に革命をもたらしたディランは、その直後、オートバイ事故を起こし、しばらく「芸術家の街」ウッドストックで静かな時を過ごした。その時期、のちにザ・バンドと名乗ることになる5人と録音した、文字どおりの地下室テープ。
75年に正式な形で作品化された。(大友)
アーカンソー生まれのリヴォン・ヘルムと4人のカナダ人が出会ったのは60年前後のこと。若い彼らは旅のなかで腕と感性を磨き、ディランとの活動をへてザ・バンドとして68年に姿を現す。タイトルにあるビッグ・ピンクは共同生活していたウッドストックの家の名前だ。クラプトンは、このアルバムが「人生を変えた」とまで語っている。(大友)
忌野清志郎は「イマジン」の日本語ヴァージョンで「夢かもしれない」と歌っている。本質をとらえたうえで語呂をあわせた、素晴らしい訳だ。「ミサイルでミサイルを撃ち落とすシステム」や「先制攻撃の必要性」などを確信犯的に語る政治家や評論家の顔を見ていると、また「イマジン」が聴きたくなる。(大友)
忌野清志郎バージョンのイマジンが聞けるCD
RC SUCCESSION「カバーズ」
ウッドストック・フェスティバルからちょうど40年。開催の翌年に公開されたドキュメンタリー映画のサウンドトラック・アルバムがリマスター版で再リリースされた。最初の版に比べると、飛躍的にクリアな音質となっている。収録されているのは、ジミ・ヘンドリックス、サンタナ、CSN&Y、ジョー・コッカー、ザ・フーなど。(大友)
同サウンドラックの第2集。収録されているのは、CS&N、マウンテン、ヘンドリックス、ジェファーソン・エアプレイン、キャンド・ヒートなど。(大友)
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