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たとえばシカゴであったり、シアトルであったり、高層ビルが林立する都市の中心部を出て、街道に乗ったとしよう。しばらく走ると、それまでバックミラーに映っていたビル群が姿を消す。いつの間にか、フロントガラスの向こうとロードサイドには豊かな自然が広がっている。豊かな緑だったり、どこまでもつづく玉蜀黍畑だったり、あるいは、乾いた風が吹き抜けていく荒野であったり。「found myself in…」という、あの感覚だ。
もちろん、逆の場合もある。荒野を貫いて走る、片側一車線のオールド・ハイウェイ。たとえばアリゾナ州西部の、200キロ近くにわたって、街らしい街もないエリアを走る旧道ルート66。すれ違う車も、追い越していく車もほとんどない。信号も数えるほど。
それらは、いずれも旅の喜びであり、ハンドルを握りながら、こうしたささやかな感動からいくつものアメリカの歌が生まれたのだろうと、あらためて実感したりする。トム・ウェイツの「オールド55」、ボブ・ディランの「追憶のハイウェイ61」、ザ・バンドの「ザ・ウェイト」、イーグルスの「テイク・イット・トゥ・ザ・リミット」、ハンク・ウィリアムスの「泣きたいほどの淋しさだ」、ジェイムス・テイラーの「カントリー・ロード」や「ハイウェイ・ソング」、オールマン・ブラザーズ・バンドの「ブルー・スカイ」や「ランブリング・マン」、ニール・ヤングの「アルバカーキ」。
シカゴ。ミシガン湖に面したこの街はルート66の東側の起点。街の上にはいくつもの映画に登場した高架鉄道、ループが走っている。
シカゴは北米最大の都市。クラシックなものから近代的なものまで、たくさんのビルが建ち並び、海のようにも見えるミシガン湖の湖岸にはヨット・ハーバーもある。フライパンで仕上げる分厚いピザも旨い。シカゴはまた、南部デルタ地帯で生まれたブルースが都市化/電気化されてロックの時代へとつながっていく、そのダイナミックな流れのなかで計り知れないほど大きな役割をはたした街でもある。
冒頭に書いたように、その大都市を出てしばらく南に走ると、バックミラーに映っていたビル群が姿を消した。旧道の左手には、鉄路。フロントガラス越しに見えるのは、地平線までまっすぐに伸びる道。そして、右側ははてしなく広がる、丈の高い、玉蜀黍畑。「はたしなく広がる」というのは文学的表現ではなく、文字どおり、どこまでも、はたしなく広がっている。ほんのちょっと前まで、北米最大の都市にいたというのに。
なにか記憶に触れるものがあった。いわゆるデジャヴ=既視感ではない。歌ではない形で誰かが、この光景と、そこから得た感情を表現していたはず。そう、シカゴを出て、ほんの少し南下しただけで目に映るものと空気がまったく変化してしまうこの感じを、ずっと昔、誰かが表現していたはずだ。心にひっかかったまま旅を終え、日本に帰ってから、それがなんだったか思い出した。永井荷風の『あめりか物語』だ。
荷風は、20世紀の初頭、4年ほどをアメリカで過ごしている。最終的には渡仏して文学家としての自分を高めることが目的であり、実際にその目的もはたしているのだが、とにもかくにも、彼は百年以上前に北米大陸を身体で体験していた。経済的に恵まれていたからできたこと、ではある。それでもしかし、その決断力と勇気には最大限の敬意を表したいと思う。
その北米滞在の体験から生まれた『あめりか物語』のなかの一編「酔美人」にこんな一節があった。シカゴ滞在中、セントルイス万博の会場を訪れた時のエピソードをもとに書かれたものだ。「途中の景色といえば、米国大陸の常として、ただもう広漠とした玉蜀黍の畠と、折々は家畜が水を飲んでいる小川の辺りや、百姓家が二、三間立っている岡の上なぞに果樹園らしい樹の茂りが見えるばかり」。そして長時間、汽車に揺られた荷風はミシシッピ河の向こうに広がるセントルイスの街を目にする。
荷風は、戦後、市川市の八幡に暮らし、たまたま僕が高校時代によく通っていた映画館の近くで生涯を終えた。死の前日までほぼ毎日、同じ席に腰を下ろしてカツ丼と清酒と新香を頼んだという和食屋は、今も京成八幡駅の近くで営業をつづけている。当時はなんとなく近寄りがたかったが、大人になってからは何度か足を運んだものだ。
「だからどうした」といわれればそれまでだが、アメリカの歌の心を求めて旅するうち、その道が荷風の道と交錯したことを、僕は嬉しく思った。大げさにいってしまうと、なにかの啓示ということなのだろう。
ロバート・ジョンソンが、最初の正式な録音を行なったのは1936年。翌年には2回目で最後となる録音が行なわれ、彼はそこで29の作品を残した。荷風の代表作「墨東綺譚」は36年に書かれ、翌年に発表された。両者にはなんの関係もないし、深読みするのはよくないことだと思うが、それでも僕はこういう符合に、素直に感動してしまう。
ほんの少し年上のロック・アーティストとして、いつもある種のシンパシィとともに聴いているトム・ペティ、91年の作品。ジョニー・デップ主演のプロモーション・ビデオも制作されたタイトル・トラックは、彼らしいシニカルな内容の曲だが、都市部を出て荒野に向かう時のあの気分にもぴったり。(大友)
昨年、究極のデジタル・リマスターが完了し、新たにアナログ盤も出るニール・ヤングの傑作(70年発表)。乾いた風が吹き抜ける荒野を走り、かつて金の採掘で賑わった街を抜けていくアリゾナ州西部の旅の途中、頭に浮かんできたのはこのアルバムの音だった。(大友)
20世紀初頭の数年間をアメリカで過ごした荷風が帰国後に発表した作品集。交通機関も通信も現在とはまったく状況が異なる時代、果敢に異文化環境に飛び込んだ若き荷風が米国社会の表と裏を題材に、類い稀な文学的才能の開花を示している。(大友)
五十代前半の文学者「大江」と、向島玉の井の私娼「お雪」。昭和の初頭、隅田川東岸の小さな街で繰り広げられる、美しくも哀しい物語。急速に軍国主義化が進んでいた時代にこういう作品を発表してしまう荷風の、したたかな時代意識が伝わってくる。(大友)
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