――原点は歌うこと
東京、新宿区の「TC楽器」といえば古くからのギターファンの間では「The 中古楽器屋」としても知られてきたユーズド/ヴィンテージ楽器の専門店。この2階が2023年3月にフルリニューアル、新しくOPENしたのがアコースティックギター専門店「ADVANCE GUITARS(アドバンスギターズ)」だ。
若き店長(1993年生まれ!)である井上 陽介氏は小さい頃から「歌う」ことが大好きで、人前でもよく歌を披露していた。
それもそのはず、井上陽介氏が生まれた時、彼のお父さんは自身が大ファンであった井上陽水氏にちなんでその名をつけたのだという。
中学生になると、『自分が好きな楽曲の弾き語りをしたい』と思うようになり、そのころ学校の先輩がよく聴いていた「19(ジューク)」の全曲集を購入し独学で「弾き語り」に挑戦!
『人生初のギターは現在もプロとして活動するボーカリストの方から譲り受けたアコースティックギターでした。ただその頃は「弾き方」を覚えるのに夢中で、メーカーやモデル名など、よく覚えていないんです。国産のドレッドノートタイプで わりときれいなギターでしたが、後に歌の好きな後輩に上げてしまいまして。。』
その後、中学3年生の時に初めてYAMAHAのエレアコFSX900SCを購入。
高校時代にはこのギターを手にライブハウスや学園祭などで歌い、初めての路上ライブも経験。大学時代には地元大阪の万博公園で開催された、情熱大陸のSPECIAL LIVEで尊敬する玉置浩二氏のバックコーラスも務めるなど、とにかく「歌と弾き語り」に夢中な毎日であったという。
――TC楽器への就職が転機に
『大学を卒業してすぐに食品会社に入ったんです。やりがいもあり、自分が開発に携わった商品がスーパーやコンビニに並んでいる光景というのはこの上なく嬉しいものでした。でも、この仕事を一生続けていくのかなってどこかで思っていて。。やっぱり音楽に関わりたかったんですね。』
そんな思いを胸にTC楽器の面接へ。TC楽器で働きながら音楽活動を続けることになるのだが、この出会いが自身の音楽とギターに対する考え方が変わる大きなターニングポイントとなる。
――マイギターが導いたアドバンスギターズ立ち上げまでの道
『しばらくすると、エレキギターのヴィンテージフロアを任されるようになりました。ヴィンテージのストラトやレスポールを実際に弾くというのはとても勉強になりましたし、どんどんヴィンテージギターの魅力に惹き込まれていきました。
特に記憶に残っているのがブラックガードのテレキャスターでした。少し厚手のポリ塗装にリフィニッシュされ、少しこもった音をしていたため買い手がつかずにいました。そこで我々としては大きな決断ながら、「元々リフィニッシュされているので、この際、薄手のラッカー塗装に替えてみよう!」と。すると本来のポテンシャルを取り戻したように、誰もが憧れるあのトゥインギーなサウンドに仕上がり、すぐに買い手がつきました。
そんな事もあり、自分もいつかはヴィンテージテレキャスターを手に入れたいと思うようになっていましたが、ちょうどその頃にグッとくる個体に出会い、自分にとっては高額でしたが一大決心をして手に入れました。
それはラウンドローズ指板のテレキャスターで、ラウンド特有のレスポンスや60年代後期の少しスッキリした感じを肌で感じることができました。ただ、それを存分に味わってしまうと、今度はスラブボードのジューシーさにもまた惹きつけられてしまうという大変な悩みも抱えてしまうようになりましたが。。(笑)』
――1947年 Martin 000-18
『私の感覚としてはエレキもアコギもあまり変わりません。職人の思いが込められたギターが、プレイヤーに愛用され、個体それぞれの道を歩み、時を経てまた職人の手によって手直しされる。
そんなクラフトマン、プレイヤー、リペアマンのギターに対する思いが共鳴し合い、現在においても素敵なサウンドを奏でるというのは共通していることに思えます。
次に私に訪れた転機はアコースティックギターを任されるようになり、しばらくして「ADVANCE GUITARS(アドバンスギターズ)」の立ち上げの話がもち上がったことでした。
ちょうどその頃に出会ったのがこの000-18で、その見た目と音に圧倒されてしまったのです。第一線で活躍するミュージシャンが長年使用していたものでしたが、「井上さんが大切にしてくれるなら」と言っていただき、一大決心でオーナーに。
そのサウンドはまさに「凄い」のひとこと!重厚な低音の鳴りと上質な高音の響き。しっかりと弾きこまれたマホガニーの甘いサウンドは、まさに長い年月を経て育てられた「ヴィンテージギター」そのものの味わいをもった一台です。』
――「相棒」と呼べるギター
そしてもう一本、井上氏には「心の相棒」ともいえる「マイギター」、2000年製のGibson J-45がある。
『当時、店に何台かあったJ-45を弾き比べた中で自分の歌声に一番「しっくり」くる音を持った個体を選びました。しかしこのギター、今も修理痕が見られるように購入当時、トップに結構大きな割れがあったんです。しかしそんな傷がありながらも私の心にグッと沁入る音を持っていて、それが当時「どんなに厳しい状態にあっても這い上がって行けるような自分でありたい。」という自分の「想い」とも大きく重なるところがあり、購入を決めました。

ストロークで弾いた時の低音の鳴りと歯切れのよいジャキジャキとしたサウンド、甘く響くマホガニーの音色など、いつまでもかき鳴らし歌い続けていたくなるギターで、仕事を終ると地元のカラオケに籠り、このJ-45を弾きながら朝方まで歌い続け、曲を仕上げました。ライブではこのギターを弾きながら何曲もの歌を歌い、本当に長い時間をこのギターと過ごしました。
これ1本でどんな歌でも歌うことができる!と思わせてくれるような(笑) まさにボーカリストのために生まれてきたのではないかと思えるギターで、私にとっては世界にひとつだけの「相棒」といえる「特別」な存在になりました。
"一生手放したくないギターは?"
と聞かれると先のテレキャスターや000-18ではなくこのJ-45。
なぜなら、自分にとってはヴィンテージギターはやっぱり"借り物"という意識が強く、次の方や次の世代に引き継いで行くべきものという思いも頭の片隅にあります。
しかし、このJ-45はここまで一緒に歩んできた道も含めて「自分のもの」なので、最後まで手放さずにボロボロになるまで使いたいなと思っています。』
――お客様の「マイギターストーリー」に刻まれるギターを
「お店にお越しくださるお客様は私より年上の方が多く、そんな先輩の方々の「ギターストーリー」を伺う度に、将来の自分に重ね合わせて心を躍らせています。
また、若いお客様の「ギターストーリー」には共感できる部分も大変多く、そんな幅広いお客様方からの刺激を受けながら、充実した日々を送っています。
この記事がお客様の目にとまり、私のギターに対する想いを知っていただくきっかけになれば嬉しく思いますし、次は沢山のお客様の「マイギターストーリー」を聞かせていただきながら、そのストーリーに刻み込まれるような、素晴らしいギターとの出会いをお手伝いして行きたいと思っています。
(掲載日:2023年11月29日)