――バッハと共に
楽器の聖地、東京お茶の水で1996年に産声を上げたギターワークショップ「アンダンテ」。ヨーロッパを中心に、伝統的なギターを最高の状態で弾き手に届けたいという想いから、世界でもトップクラスの製作家の協力を得て手工ギターの販売は基より、19世紀ギターなどの復元から日常のメンテナンスまでを行い、約30年にわたり愛好家の元に提供している。
オーナーの川平氏は1954年 大阪生まれ。小学生の頃には世はまさに空前のギターブーム。『5歳上の兄貴が叔父さんからもらった鉄弦を張ったクラシックギターがあって、それを手にNHKの「ギターを弾こう」という番組を兄弟で毎週見ながら私もギターの弾き方を覚えたんです。』と当時を振り返る。
誰もがチャレンジした名曲「禁じられた遊び」もこの頃には弾けるようになっていたそうだからギターセンスはなかなかのものであったようだ。
やがて青春時代を迎えると、氏も同世代の若者同様、ビートルズやサイモン&ガーファンクル、カーペンターズ、そしてポールモーリアなどのイージーリスニング・オーケストラ等、海外のポップスに耳を傾けた。ところが、これらの音楽に混じってたまにラジオから流れてくるバロック音楽に大きく感情を揺り動かされたと話す。
氏の耳はバロック音楽を代表する作曲家、「ヨハン・ゼバスティアン・バッハ」に異常なほどに反応したのだ。
『寝ても覚めても地を揺るがすが如くの力強さと美しくメロディアスな「バッハ」の曲に心を奪われ、小遣いの全てをはたいて買い集めたバッハのレコードを聴き漁りました(笑)
ギターをずっと弾き続けてこられたのも考えてみればバッハが弾きたかったからなんでしょうね。当時テレビやラジオから色々な流行りの曲が流れていましたけどね、あれ以来私の心にはバッハしか存在しなくなってしまった(笑)』
――大学のギタークラブで本格的に
中学~高校時代も趣味としてギターは弾いていたが、本格的にやり始めたのは大学時代。
ギタークラブに入ると授業をそっちのけで部室に入りびたり、来る日も来る日もギターを弾いた。
『それまでは兄貴に教えてもらったりもしていたのですが、やはり自己流でしたからね。クラブには伝統的にプロとして活動しているOBがやって来てクラシックギターを指導してくれるんです。ボランティアでね。ソロや少人数のアンサンブルなど本格的にギターを学んだのはやはりこの時期でしたね。』
やがて大学を卒業するとその頃入り浸っていたギター専門店に迷う事もなく就職、営業担当として車にギターを積んで全国のギター教室を回り、売り歩いた。
『当時は今のように誰もがネットで楽器を買うような時代ではなかったですからね、特にクラシックギターにおいては先生が生徒にギターを見立てる、といった販売方法も多かったので全国のギターの先生とのお付き合いが大切だったんですね。』
その後、いくつかのギター専門店で営業の仕事をやって行くうちに「これは自分でも独立してギターの販売ができるかもしれない」と思い始め、37歳の時に事業を立ち上げた。当時住んでいた千葉県松戸の団地の自室で始めたが、子供のオムツを替えている横でギターの弦を張っている時に「やはりちゃんとした店をお茶の水に出そう」と思い、現在の店の1件置いて隣に10坪の第一号店を出店した。
『ところがこれが難しくてね、スタートするにあたってスペインや英国の製作家を訪ね歩いて取引を始めたんですが、なかなか思い通りのギターができてこないんです。こちらもまだ付き合いの浅い人間ですから信頼関係も十分に得られない。やはり長い付き合いの中でよいものが入るようになるのでね。当初はなかなか大変な思いもしましたよ。』
――1918年 ハウザーⅠ世 【ウインナー・モデル】
そんな川平氏に「心の一本」を紹介していただいた。
『実は私、ギターはこんなに沢山ありますけど、個人的には一本も所有していないんですよ。
全部売りものでしてね、ですから欲しい方がおられればこのギターもお譲りしますが、あえて私にとっての「一本」、というと今はこのギターになりますかね。』
『これは、最近出会ったんですがね、ある方が別の業者にお持ちになったギターで、他にもっと古いものも2本あったのですが、普通の業者は19世紀ギターなんて買い取らないんですよ。値段もとんでもなく高いし、置いておいても売れる保証なんてないんだから(笑) それで私のところに相談に来られて。
私はまあ、「置いておいてもいいかな、、」ぐらいに思ったんですが、入荷時は裏板と左側面(低音側)にひび割れなどもあり、駒も飛んでいたためまともに弾ける状態ではなかったんです。なので「まあ直してこれぐらいにはなるかな、」という感じで買い取ることにしたんです。
しかしいざ修理が終わって戻って来るとね、これがまあ見事に化けたんですよ。想像をはるかに超えてきた(笑)』
『このギターが製作されたのは第一次世界大戦の終戦の年。
敗戦国となったドイツはボロボロの状態であったはずなんですが、そんな時にハウザーⅠ世はこのギターを製作していたことになります。年齢的にも36歳ですから兵役を免れたのでしょうかね、不穏な社会情勢の中、製作されたせいか何とも言えない安らぎと情熱の芽吹きが横溢しています。
弦長は628mmでボディー厚も薄いので抱えやすくてね、芯が太く輝きのある高音の中にも色気と甘みがあり、ハウザーⅠ世らしい余韻の長さを持っています。
トーレスの名品やハウザーⅠ世の一級品を弾くとギターの持つ「人の心を虜にさせる摩訶不思議」な魅力がどこから来るものか、つい考えさせられます。
このギターは19世紀ギターでもモダンギターでもない、いわゆるローカルギターなんですが、このギター(個体)の音の「良さ」は、普通にこの俗世間を生きているとなかなか理解できないかもしれないと思うんですよ。別の次元で生きておかんと(笑)
生まれながらにして月並み外れた感性をもった人であればすぐにわかると思うんですが、逆にそんな人は世間一般の勤め人のようには生きることができない人でしょうから、そう多くないかもしれませんね(笑)
我々の仕事というのは、実は「自分のスタイルをすでに確立しておられるお客様」に対しては何もやることがないんですよ。ただ気に入った楽器を選んで買っていただければいい。
ところが感性は非常に優れたものを持っているのに的が絞れていなくて、どんな楽器を弾いてよいかわからない、という方がおられたとして、そんな方にこのギターを弾いていただけたらその方の楽器選びの的がしっかりと絞れる。
これはそんなお手伝いのできる楽器かな、と思うんです。
そんなわけでね、このギターは欲しい方がおられればお譲りしますが、私としては「売れなくてもいい」と思ってるんです。
ここで弾いていただいて、ご自身と向き合って感性を確かめていただくための、まあ、そんなギターといえるのかもしれませんね(笑)』
――歩くような速さで
『ギターに人と同じように一生というものがあるとすれば、その一生はそれこそ私たち人間よりもずっと長い時間になりますからね。
なんというか、この仕事をしていると、そんなギターの長い長い一生の内のほんの一時的な期間、お金を払ってその命をお預かりしてるんではないかと、そんな気がしてきますね。
何らかのご縁があって旧いギターが私共の店にやって来て、具合が優れなければまた元の健康な状態になっていただいて、そして次の弾き手の方に渡るまで、ここで過ごしていただく、そんな商売ですね(笑)』
川平氏がギターを構えると、背筋が「スッ」と伸び、年齢を感じさせない凛とした空気が漂う。 お客様には最高の音響と気持ちの良い空間で、ゆったりと心行くまでギターを堪能していただけるような、そんな場所を提供したいと話す。
そんな「想い」を形にすべく、買い集めているというアンティーク家具を見せてくれた。
「いつかこんなアンティーク家具に囲まれた心安らぐ空間でギターの音に酔いしれて欲しい。」そんな想いを胸に、まさに歩くような速さ「アンダンテ」でゆっくりと店と教室を続けて行きたいと語ってくれた。
(掲載日:2024年4月25日)