――学生時代を過ごした街に
大阪・心斎橋の「ストリングフォニック ギターカンパニー」は南船場にあるアコースティック系ギターショップ。オーナーの竹本氏は都内の大手楽器店に勤務した後、31歳で独立し、新宿で楽器店をOPEN。その後2000年に学生時代を過ごした大阪に場所を移し、このお店をスタートした。
ショップはレトロな佇まい(1930年竣工)のビル、大阪農林会館の2階にあり、主にアーチトップ、リゾネーター、マカフェリ系のジプシーギターなどを中心に、コスパに優れたショップオリジナルギターのラインナップも充実した、なかなかディープなお店だ。
――友人からのお下がりギター
竹本氏が初めてギターを手にしたのは中学生の頃、1980年代の初めだった。知り合いからもらったフォークギターを手に 明星や平凡といった音楽系芸能雑誌の付録、いわゆる"歌本"のコードフォームを頼りに、独学で歌謡曲などを弾きはじめた。
『高校に進学するとこれも友達からのお下がりで「Fresher」というレスポールタイプのエレキを手にロックバンドを組んだんです。ギターを本格的に弾き始めたのもこの頃で、ヤングギターに載っていたTAB譜を見ながらマイケルシェンカーやリッチー・ブラックモアをはじめ、アースシェイカーやラウドネスといった日本のヘビーメタルなど、あらゆるものを一生懸命コピーしました。バンドではハウンドドッグや爆風スランプなど当時流行りのロックなどを演っていて、とにかく「ギターを弾く」ことが何より好きだったんですね。
ちょうどバンドブームだったこともあり、故郷の広島でも沢山バンドがありました。中にはプロデビューして行く同級生などもいて、それなりにレベルは高かったんだと思います。』
――奥田民生さんのこと
『そんな高校生の頃の一番の思い出は、広島の楽器店主催のバンドイベントで奥田民生さんと同じステージに立てた事ですね。
1986年頃、まだアマチュアのロックバンドをやっていた奥田さんの自主制作テープをよく聴いていたこともあり、自分たちのステージよりも彼等の演奏が生で見られる感動で胸が躍りました(笑)
もちろんギターも歌も、段違いの実力を目の当りにしましたが、その1年後に「UNICORN」のボーカルとしてメジャーデビューするということを知り、プロとして世に出て行く人のレベルの違いを思い知らされました。
ところが奥田さんとの出会いはこれだけでなかったんです。
それから何年か後、私がお茶の水の楽器店に勤務していた時に偶然にも奥田さんが来店され、60年代のGibson B-25をご購入いただいたんです。
もちろん高校時代の想い出などその時にはお話することもできませんでしたが、直接ギター選びのお手伝いができた事がとても嬉しかったことを覚えています。
そしてさらに、10年以上経った頃、なんと3回目の偶然が訪れたんです。
たまたま大阪のテレビの番組取材で、今度は自分の店である「ストリングフォニック」で奥田さんと再びお会いするチャンスをいただくことができまして。
この時にはずっと心の中にあった奥田さんに対する憧れや当時の想い出など、ゆっくりお話する事が出来て、短い時間ながら奥田さんとの距離をとても近く感じられた事を覚えています。
やはり自分の好きな音楽やギターに関わり続けた事でこのような経験もでき、この道を選んで「よかった」と改めてそう思えたひと時でした。』
――アコースティックギターがくれた楽器屋人生
そんな竹本氏、就職活動を行う中で、慣れ親しんだギターや楽器店に対する「軽い好奇心」がこの業界に身を置くきっかけとなったと話す。
『何となく「ノリ」で面接を受けに行った生意気盛りの私を「面白い」と拾ってくれた、とある上司のおかげで大手楽器店の大阪の店舗に就職が決まりまして。半年後には東京のその上司の下で働くことになり、本格的に私の楽器屋人生がスタートしたんです。』
『楽器業界に入ってからはビンテージのGibson Style-U(ハープギター)、Custom Shop製のSG Standard VOS、1937年製 Epiphone Broadwayなど、色々なギターを入手しましたが、所有しているギターはIbanez AR、Gibson Les Paul deluxeなど、意外にも今のお店のラインナップとは関係のないソリッドばかりで(笑)
ただ、そんな私が今のようなジャンルのギターに惹かれるようになったのは、この時代にお茶の水店のアコースティックギターを担当させてもらえた事が大きなきっかけでした。
当時は自分の裁量に任されていたので、フラットトップに加え、アーチトップ、リゾネーター、ジプシー系から民族楽器に至るまで、今の「ストリングフォニック」に通ずるラインナップを個性全開で仕入れて販売していました。社風もありますが、そんなことが量販店でも許されていた時代でしたね(笑)。
その後、店頭から本社の貿易課に異動になったんですが、これがちょうどフランスのDupont社のジプシーギターが初めて入荷してくるタイミング。日本に入りはじめた初期の頃のDupontの検品に立ち会っていたことを思い出します。』
――ストリングフォニック製オリジナルギターの手本となった2本のギター
『私にとって大切な1本といえばまずはこの1933年製のL-5です。
入手したのは比較的最近のことなんですが、ビンテージの価格が異様に高騰している中、創業以来大変お世話になっているお客さんから、「絶対に売らずに持っていること」を条件に格安で譲っていただいた1本なんです。
今となっては中古市場でもほとんど見かけることのない貴重なモデルで まさにこの種のギターの頂点に位置するといっていい存在。ピックガード以外フルオリジナルで極上のコンディション。アーチトップの良いところが全て詰まったような甘くてパワフルなサウンド。ギラギラした感じが全くなく、キレがあって耳に心地よい、もう言うことなしの一本で、本器は当店が2014年から造っているオリジナルギターを開発する上での「教科書」となったギターでもあるんです。』
さらにもう一本、お店のオリジナルギターを作るきっかけとなったマカフェリギターの試作機もご紹介いただいた。
『こちらは2014年のクリスマスイブに完成したギターで、オリジナルのセルマーの設計図をもとに、忠実に製作したもの。そんな本器をもとにトップの厚みを変えたりブレイシングのレイアウトを変更したりと試行錯誤を繰り返し、2015年の春にようやくオリジナル商品として市販化しました。その後もマイナーチェンジを繰り返し、海外ブランドのOEM生産を含めると今年で間もなく通算400本になるんです。』
『このギターは海外ミュージシャンの日本ツアーで貸し出したり、レコーディングで使用したりと色々な場所で使用されてきたもので、結構な貫禄がついてきたせいか、店頭に飾っているとビンテージものと間違えて売って欲しいと言われることがあるんです(笑)』
――個性的なオリジナルギターと共に
『はじめは街のちょっと変わった中古楽器屋さんとして細々とやっていくつもりで、まさかオリジナルギターを作って販売することなんて全く考えていませんでした。
しかし、昨今のビンテージ事情はコロナの頃を境に一変し、ほぼ入手できないか、仕入れる気も失せてしまうほど価格も高騰してしまって。。まぁそうなることを予測していたわけではないんですが、いずれ入手できなくなるだろうと漠然と考えていた頃、絶妙のタイミングで寺田楽器さんと知り合うことができ、それがきっかけとなって一気にオリジナルギターの開発に舵を切ることになったんです。
気合を入れてフラットトップやフルアコベースを作ったものの、セールス的にはイマイチだったり(笑) 今思えば色々ありますが、公私ともにお世話になっている寺田楽器さんの若き営業担当氏と行う月一の打ち合わせの中から生まれた、どれも個性ぞろいの愛おしいギター達ばかりです(笑)。』
これまでに生まれたオリジナルギターには、ベストセラーとなったものも沢山あるので、これからも沢山の方達にストリングフォニックのオリジナルギターを知っていただけるよう、精力的に開発/販売を続けて行きたいと語る竹本氏。皆さまも是非お店でディープなアコースティックギターの世界に浸ってみてはいかがだろうか。
(掲載日:2024年8月9日)