――五足のわらじ?
生れ故郷の東松山市で1994年より30年にわたり、中古&ヴィンテージギターショップ「レトロバザール」を経営する高田氏。
実はお父様が古くから営んで来られた建築板金業を引き継ぎ、お客様からお声が掛かればいつでも屋根に上るということで、まさに「屋根の上のバイオリン弾き」、改め「ギター弾き」といえるお人である (笑)
また、お店からほど近い場所でご子息と共に営むライブカフェ「レトロポップ食堂」は地元に密着したイベントスペースにもなっており、2009年のOPEN以来、連日地域のバンドだけでなく、遠方から泊りがけでやって来る音楽好きの面々も交えてのライブで盛り上がり、時には高田氏ご自身も参加されるのだそう。
さらには地元、「東松山市を音楽を通して盛り上げたい」との思いから、市議として2011年より4期を務め、地域活性化のための音楽イベントなどを企画運営、レトロポップ食堂を場に自ら立ち上げた「子ども食堂」を通じて地域の子育て支援を行うばかりか、彼らの母親による「ママさんバンド」の仕掛け人でもあるという、まさに五足のわらじ(?)を履いた超多忙な毎日を送っている。
――大切なものたち
『幼い頃に古い白黒テレビでいつものように「少年忍者・風のふじまる」を見ていたら、突然映らなくなってしまい、修理屋さんにも直せないと言われたのが悲しくてずっと泣いていたんですよね。。』
氏は小さい頃からとにかく「もの」を大切にした。旧くなるほどに愛着は増して行き、たとえそれが壊れてしまっていたとしても変わることはなかった。
そんな事をよく表しているものがこのギター、1970年製モーリスのW-20だ。
実はこの企画がスタートして以来、ご登場いただく方に初めてのギターの想い出などをお話しいただくのだが、実機を持っておられる方はほとんどいない。
さすがに年月を経てあちこちに劣化は見られるものの、大切に保管されていたことが見て取れるギターのTop板には大好きだったフォークデュオ「風」のステッカーが貼られ、バックにはあのMartin D-35の3Pバックを模したようなラインテープが残る。当時中学二年生だった高田少年が抱いた「夢」が窺えるギターである。
『元々父親がハワイアンバンドをやっていたので、いつも身近にスティールギターやら楽器の生音があって、ごく自然に自分もギターを手にするようになっていましたね。』
そう話す高田氏、このギターは1974年に自宅近くのマツバ楽器というお店で初めて買ってもらったのだとか。
『ちょうど街にフォークソングが流れていた時代でしたからね。「かぐや姫」が好きで初期の「酔いどれかぐや姫」や「神田川」などをよく聞いていたので、そんな影響もあって、アコギを弾き始めたんです。
エレキギターも欲しかったんですが、中学生だとバンドメンバーを募るのも大変ですし(笑)
それでも学校の文化祭などではみんなの前で演奏をする機会もあって、自分なりにギターや歌を愉しんでいましたよ。
その後高校3年生の春に実家の板金業の手伝いで手にしたお小遣いを貯めてS・YairiのYD-404を8万円ぐらいで買いましてね、これはほんとに大切にしていましたね。 それを持ってバンドを組んで秋の卒業コンサートをやったんです。単独コンサートだったんですが観客も200人ぐらい集まって、自分でも驚くほど盛り上がりましてね、本当に楽しかったことを覚えています。』
――33歳で起業する
その後、家業を継ぐ形になって板金業をやっていたが、尊敬する坂本龍馬が世を去った33歳になったら自身も起業をして、その後の人生を自分らしく生きると決めていたのだとか。
『まぁ、「自分らしく」とは言ってもミュージシャンとしてはなかなか難しいという事はわかっていたので、それなら大好きなギターに関わる仕事を生業にしようという事で、1994年に自宅の一角でギターショップをスタートすることに決めたんです。
ちょうどその頃にある雑誌で「Teisco」の特集がありましてね。自分でもテスコは沢山持っていたので大変興味をそそられて、この記事に背中を押されるような形で「旧い国産ギター」を専門的に取扱う「レトロバザール」を立ち上げたわけです。』
しかし、当時はまだ今のように「ジャパンヴィンテージ」という言葉もなく、旧い国産ギターに価値を見出すことが難しい時代。販売をしようにもどうしてもガラクタ扱いにされてしまうことが多く、悔しい思いもしたと話す。
『そんな頃にたまたまヘッドウエイを買ってくれた高松のお客様が旧い国産ギターを扱っていることをとても喜んでくれ、徐々にこうしたギターをコレクションするようになって雑誌の特集などでも取り上げられるほどになられたんです。
その方とは今もお付き合いがあり、今年レトロバザールが「30周年」を迎えるという事でお祝いのメッセージもいただいたんですが、そうした方々の応援もあって少しずつこのジャンルへの理解も深まってきたんだと思います。』
こうした旧い国産ギターの価値を世に広めてきたことは「レトロバザール」としてのプライドでもあり、テスコのスペクトラム5を再販する際も、当時カワイ楽器の担当の方から高田氏の所有ギターを参考にしたいとのお話があり、これを基にして93年に復刻されたのだと聞く。
また、その後も北野武氏の「北野フォーク人生王決定戦 ~もうひとつのつま恋」というTV番組で優勝したり、「パッチギ」や「ノルウェイの森」といった映画のヴィンテージギタープロデュースを任されたりと、ギターを通していろいろなご縁をいただいたことも大変ありがたく思っていると話す。
――マツバ楽器とグレコのサンバーストレディー
『私にとっての「お宝ギター」といえばこの「1980年 Greco EGF-1200」ですかね。
いつも入り浸っていた「マツバ楽器」というお店にあったギターなんですけど、そのお店には本当によく通っていましてね、店内になぜかずっと吊るされていて、「サンバーストレディー」というセクシーな名前が付けられた美しいギター。
当時11万円ほどであったと思いますが、1958年のレスポールを基に再現された、正にビンテージギターの本質を突いた世界的にも大変評価の高い究極のギターです。
フレイムの入ったきれいなメイプルトップに上質なマホガニーバック、ハカランダ指板、Z-DRYピックアップの拘り抜いたモデルで、お店に行くたびに目に入るし(笑)、本当に欲しくてお店のご主人に何度も「売って欲しい」と頼んだんですが、これだけはどうしても首を縦に振ってくれなかったんです。
それが2001年のある日、突然ご連絡をいただき、「お店を閉める」と言われたんですね。
とても驚きましたし、このお店をより所にしていた私は残念でなりませんでした。
すると、そんな私に突然ご主人がこのギターを譲ってくれる、と言うんです。
しかも3万円でいいと。。!
逆に私はそんなことはできないと言ったのですが、ご主人は「こちらも世話になったのだからいい。」と一点張りで。
以来、このギターは「マツバ楽器」の想い出でもあり、国産ヴィンテージギターを扱う「レトロバザール」の象徴的なギターとして、絶対に手放すことのできない私の「お宝ギター」となりました。』
――最も価値の高い商品をお客様に
『はじめは買い集めていたギター100本ぐらいからスタートしたんですが、モノがモノだけに売れてしまうと仕入れが大変で商品を集めるにはかなり苦労しまして、貴重なギターが手に入るとできるだけ取っておきたくて手放せないんです(笑)。
そんな時にある骨董店の店主から「この手の商売をしようと思うなら自分が思う一番価値の高いものを真っ先にお客様にお譲りすることが大切。」という事を教えられまして。
結局そういう心意気はお客様に必ずわかってもらえ、後に必ずまた価値の高いものを持ってきていただけるのだと。
というわけで、常に価値の高いものを手元に置くためにもまずはこちらから「断腸の思い」で(笑) 最高のギターを一番に出していますので、どうぞ宝探しのつもりで遊びに来てください(笑)』
そう話す高田氏、現在はまだ手をつけ切れていないギターが500本近くもあって困っているのだと。。まるで愛おしい我が子に語りかけるような眼差しで壁一面に掛けられたお店のギターに目をやった。
(掲載日:2024年9月26日)