――初めてのギターは高校1年生
東京・お茶の水の「WOODMAN」といえばギター好きの方であればアコースティック・ギターファンならずとも知るほどの楽器店。オーナーの坂尻氏は都内有名楽器店での海外買付け担当などを経て約25年前に開業。現在も年に数回、米国に渡って直接買い付けを行いながら3名のスタッフと共にMartin やGibsonといったアコースティック・ギターを中心にヴィンテージ・Usedギターの販売やリペアを行う。
そんな坂尻さんにとって、初めてのギターは高校1年生で手にしたお馴染みの雑誌通販ギター、「トムソン」のマーチンタイプ。そして高校3年生の時に故郷の石川県から1週間かけてのヒッチハイクと野宿で東京に向かい、秋葉原の家電系楽器店で手にした「プロマーチン」だそう。実はこの時に接客をしてくれた店員さんは坂尻氏が後に楽器店で働くきっかけにもなった方で、その後も再会を果たし、親しくさせていただいたとか。ちょと敷居の高かった当時の楽器店にあって、親身になってくれた店員さんがとても印象的であったと語る。
当時はラジオの深夜放送が一つの若者文化になっていて、坂尻さんも親に買ってもらったトランジスタラジオから流れるアメリカンポップスを毎晩聴くうちにやがて音楽の魅力に惹かれてゆく。ギターが弾ける友人の影響もあって毎日のようにギターの練習を重ねるようになり、やがて仲間を集めてバンド活動をするように。このバンドではまだメジャーになる前の「アリス」の前座を務めたこともあり、この友人とは今でも親友としてお付き合いが続いているのだそう。
そんな坂尻さんにとって、絶対に手放すことのできない2本のギターがある。
――2本の貴重なMartin D-45
『楽器店に勤務してからは、あこがれのマーチンD-28を購入、レスポールジュニア、J-45ビンテージ、D-45シェイド、1920年代の0-45等、コツコツと手にしてきました。開業時はそんな自分の長年のコレクションを売っていたのですが、その後貴重な楽器を手にする機会にも恵まれ、徐々にコレクションも増えていきました。
中でも加藤和彦さんから直接譲り受けた1969年 Martin D-45 ブラジリアン、そしてこれは最近入手できたマイク・ロングワース氏製作の再発売プロトのD-45、この2本は値段をつけることができない「お宝ギター」です。』
『加藤さんといえばこのギターといわれるほど、長年愛用されたD-45。
氏がこのギターを初めて手にした時のエピソードはもう何度も語られメディアでも紹介されましたが、このギターの華やかで美しいサウンドに魅せられたアーティストの方々がこぞってオーダーをした70年代にはすでにブラジリアンローズウッドからインディアンローズウッドに変更されていたというわけで、これは当時2本だけ正式に輸入されたうちの1本で、もう1本はこの時にオーダーした楽器店に今も展示されています。
加藤さんは2000年にニューヨークで戦前オリジナルのD-45を入手出来ることになったため、たまたま個人的に親交のあった私がこのギターを譲り受けることになりました。高校生の時から憧れたこのギターを手に出来たことは大変幸運で、加藤さんとはその後もお付き合いが続き、楽器のメンテナンスにギターやマンドリンのご購入、趣味の車に乗せていただいたりと、大変お世話になりました。
お店ではお客様に気さくに話しかけ、時には演奏して接客していただくことまであり、お客様のほうが驚いておられた思い出もあります。残念ながら2009年10月17日、私がテキサス買い付け出張中にホテルで訃報を聞くことになってしまいました。』
『D-45は1933年に製作され42年の生産終了までに91本、その後1968年に67本、69年に162本が再生産されますが、この再生産されたD-45は現在では大変なプレミアムビンテージとして知られています。再生産にあたっては、マイク・ロングワース氏を迎え、厳選した材で2本のプロトタイプ「#232933」と「#236913」が製作されました。これ等は本来はマーチンミュージアムに展示されるべきギターですが、その2本の行方は今まで不明でした。
私とこのギターの出会いは全くの偶然で、2019年暮れに知り合いのギターコレクター氏から1968年D-45を売りに出す奴がいるけど興味はあるか?と聞かれたことが始まりです。
紹介してもらったオーナーには全く面識がありませんでしたが、連絡を取るとなんと「#232933」だったのです。翌月アメリカに行く予定なのでその時に確認して買いたいと伝えると、すぐ払ってくれないと他に売ると言われ、散々悩んだ挙句、清水の舞台からダイブする覚悟で大金を支払いノースキャロライナの友人宅に送ってもらいました。
その後、コロナの影響で渡米できず、また、ワシントン条約の対象となるブラジリアンローズウッド製のため簡単には日本にも送れず、支払ってから1年半が経過した2020年5月にようやく私の手元に届きました。
実際に手にして、状態が思った以上に良く、オリジナリティが高かったことに安堵すると同時に、歴史的にも貴重なこんなギターを手にできたことに感動しました。このギターがあったからこそ、あのCSN&Yの名演や加藤和彦さんの名曲が生まれ、今も世界中の人がD-45にあこがれ、演奏するようになったんですね。』
――お茶の水の地で早25年

そう語る坂尻さんだが、それでもこのような素晴らしい楽器との出合いの裏ではとても残念な思いをしたことも。
数年前にアメリカの知り合いのところで、ボブディランが所有していたギターとちょうど同じ、1946年のJ-50が売りに出て、しかもすごく安かったにも関わらず、つい商売っ気(?) が出て値引き交渉したところ、その間に他に売れてしまったのだとか。とにかく、後にも先にも、同じギターの売り物を見たことが無く、しかもそのままでも充分安かったのに、余計なことをしたものと後悔しきりだ(笑)

ウッドマンのスタートは坂尻氏が43歳の時。都内大手楽器店に勤務中はアメリカに買付けに行かせてもらったりしていたが、やがて店長になり現場で大好きなギター、そしてお客さまと直接触れ合う時間がとれなくなるに従い、ギターへの想いは膨らみ続け、将来のあてもないままに独立を決意。それでも「開業時、雑誌広告に自分の写真を大きく出したことで前職でお世話になったお客様がご来店、応援してもらうことが出来てラッキーだった」と開店当時を振り返る。
アメリカに買い付けに行ったときも、独立したことをみんなも歓こんで親切にしてくれ、今も家族ぐるみでお付き合いしている人が多いのだそう。
楽器との、そして人とのそんな日々の出会いが何よりもこの仕事を続ける楽しさであると語るその姿に、歴史を刻み続けてきたギターと、それに関わる人々への深い敬意と愛情が窺えた。
(掲載日:2022年12月2日)