――住宅地に佇む秘密基地
JR湘南新宿ライン上尾駅からほど近い住宅地に佇む緑色の建物。オーナー宅の広い敷地内に建てられた、雰囲気のあるアメリカンハウスの2階にまるで「大人の隠れ家」そのものといったギターショップ「アーモンドグリーン」がある。
お店は約30年ほど前に別棟でスタートしたが、10年ほど経って在庫が増えてきたこともあり現在の建物へ。1Fはご自身の趣味のバイク弄りなどの秘密基地、そして2Fがギターショップアーモンドグリーンだ。
――ポールサイモンとフォークギター
オーナーの内河氏が初めてギターを手にしたのは中学生の時。
当時ラジオから流れる日本のフォークソングを聴くうちに泉谷しげる氏のエネルギッシュな歌に心を奪われ、LPを買ったという。
また、当時世界的に人気のあったサイモンとガーファンクルもよく聴いた。
『特にポールサイモンが好きで、自分もギターを弾いてみようと姉の持っていた古いクラシックギターを手にしてみたんです。でもギターのことなんて何も知りませんでしたからね、ナイロン弦と鉄弦の違いもよくわからないし、多分ネックも反ってたんでしょうね、なんかまともに弾けるようなギターじゃなかった気がするなぁ(笑)』
『結局自分のフォークギターを買おうと、貯めたお小遣いを握りしめて近所のレコード屋さんに行きましてね、そう、当時はね、この辺じゃレコード屋さんでギターを売ってたんですよ(笑)。でも種類なんかあまりなくて、ヤマハかモーリスぐらい。それで確かヤマハだったかな、初めて「フォークギター」というものを買いまして。元々大して弾けないんだからどれがいいかなんてわからずにね(笑)
泉谷しげる氏の「春夏秋冬」や「寒い国から来た手紙」サイモン&ガーファンクルの「スカボロフェア」などをカセットテープに落として何度も戻しては音を拾って、いわゆる耳コピですよ。なにせ周りに誰も弾ける人がいなかったから全くの独学で(笑) 音楽雑誌の付録の歌本に載っているコードブックを頼りにね。だから3フィンガーとかも本当に変な弾き方していて、親指のオルタネートなんか知ったのもずっと後のことでしたよ。テレビ見てたら全然違うポジションで弾いてて驚いたりして、そんな時代でしたね(笑)』
――ギター浸けの学生生活
そんな内河氏であったが、大学に進学すると軽音楽部に所属して本格的にギターを弾くようになった。ステファングロスマンのTAB譜を見ながらフィンガーピッキングでカントリーブルースやラグタイムを猛練習。友人とギターデュオを組んで大学のライブイベントなどにも出演した。
『「ジョン・レンボーン」や「バート・ヤンシュ」といったブリティッシュフォークのギターにも大変影響を受けましたね。毎日のようにレコードを聴いて練習したものです。ジョンレンボーンはかなり以前に来日した時にライブを観に行って、当時よく聞いていたこの「ファースト」を持参してサインと握手をしてもらったんですが、嬉しかったなぁ、憧れのギタリストの大きく暖かい掌に感激したのを覚えています。』
『もうこの頃はギター浸けの毎日で学校にはギターを弾くために行っていたような。。。(笑)。北海道の大学だったんですが、食事付きの学生寮だったものでお金なんか使わないし、アルバイトで稼いだお金を全てギターにつぎ込んじゃうような感じですよね(笑)
だからギターも何本か持ってましたよ。今も大変人気のYAMAHA FG-180赤ラベルなんかもね。それである日、東京の楽器店で1939年製のプリウォーMartin 0-18を見つけましてね。当時、日本のフォークシーンではドレッドノートが全盛でしたが、海外のブルースマンのレコードジャケットなどを見ていると割と小振りなギターを持っていて、これがカッコよくてね。それで見つけた時にこれだ!と思って買っちゃったんです。
枯れたマホのいい音がしていて毎日のように弾いていたんですが、残念ながらその後手放してしまって、あのまま持っていたらなぁ。。なんて、今でも思います。
卒業後は地元の企業に就職したんですが、その後もお金が貯まるとギターばかり買っていたんです。特に旧い国産のフォークギターや個性的なアメリカンギターに惹かれて。
例えばこれ、小田原のラッキー製作所って書いてあるんですが、きっと誰も見たことないと思うんですよ。私も知らなかったんですが、こういうのが好きでね。もちろん合板だし、キラめくような音なんかも出ないんですが、一生懸命作った感じがして、こういうギターに惹かれるんですよね(笑)』
――旧いGuildに魅せられて
『それからアメリカンギターでは何といってもGuildかな、これはポールサイモンの影響もあると思うんですが、旧いF-47。
これは1963年製なんですけど、サイド&バックはマホガニー。もう今ではほとんど見なくなっちゃいましたね。最初期に見られる大きなピックガードのとてもレアなモデルなんです。私はGuildの中でもこの年代のものにすごく惹かれるんです。
そんなわけで、ギターをコレクションするうちに漠然と「こんなギターを扱うショップをやれたらなぁ、」とは思っていたんですが、自分の手持ちギターが50台ほど集まってきたこともあって一念発起。「アーモンドグリーン」をスタートしたんです。』
――1956年Guild F-30 Maple
『Guildは沢山仕入れましたよ。もちろんMartinやGibsonも仕入れるんですが、その中には必ずGuildも入っていました。私は皆さんがよく知っている70年代のものではなくて、もう少し旧い50年代~60年代のものが好きで。結構うちにはこの時代のGuildが沢山あったんですよ。GuildってMartinやGibsonなどに比べると値段も少し安くて割と買いやすかったんですよね。』
『大好きなブランドだから本当は売りたくないんだけど、売らなきゃ商売にならないし、泣く泣く売ってる、みたいな(笑) その頃に手に入れた1本だったと思うんですが、どれか1本といわれたらこの56年のF-30メイプルですかね。このギターはシェイプが変更される前のものでね、ピックガードの形もあまり持っている方はいないんじゃないかな。これもアメリカで手に入れた1本です。初めから売り物にするつもりはなくて自分のために手に入れました(笑)
特にデザインが好きでね、ギターってやっぱり見た目も結構大事だな、と思うんです。やっぱり見た目が自分好みじゃないと結局弾かなくなっちゃう。
それと、ネックを握った感じかな。そういう意味でもこのF-30はやっぱり自分にとってすべてがしっくりくるんですよね、ストロークしたときの音の固まり感とか、指弾きでもしっかりした音が出てね、これは本当に気持ちいいんです。それから抱えた時の収まりとか、何気に置いてあるときの佇まいとか。。全部か(笑)
これをね、一人で弾いていると本当に時を忘れてしまうというか、いつまでも弾いていたいギターですね。多分、これは私にとっての一生モノになるんじゃないかと思います(笑)』
――趣味が高じて
ギターショップのオーナーには大きく2つのタイプがおられる。
ひとつは楽器店に勤めていた延長で独立するパターン、そしてもう一つは音楽活動や楽器趣味が高じてギターショップのオーナーになるパターンで、内河氏は典型的な後者だ。
お話を伺っているとまさに「趣味人」で「コレクター」としての一面ものぞかせる。
ギターの他にも時計やワークブーツ、帽子やアンティーク小物、バイクなど、自身のアンテナに反応したものが手元に集まってくるのだそう。
『初めは漠然としたイメージから始めたギターショップなんですけど、この商売をやってるといろんな出会いがあるんですよ。やっぱりそれが楽しいんでしょうね、自分でも。。』
そう話す内河さんとアーモンドグリーンでお話をしていると、まるで旧い友人の家に遊びに来たような、何とも言えない居心地の良さを感じる。
勿論、気さくで話好きな、そして決して奢ることのない内河氏の人柄もあると思うが、恐らくお店を訪ねるお客様もギターを買いに行く、というよりも古い柱時計とギターの木の香りに包まれながら、内河さんとのゆっくりと流れる時間を共有しに行くような、そんな気持ちになるのではないだろうか。
(掲載日:2024年2月29日)